無題(書簡154 抜粋)

すべてのものは悪にあらず。善にもあらず。われはなし。われはなし。われはなし。われはなし。われはなし。すべてはわれにして、われと云はるゝものにしてわれにはあらず総ておのおのなり。われはあきらかなる手足を有てるごとし。いな。たしかにわれは手足をもてり、さまざまの速なる現象去来す。この舞台をわれと名づくるものは名づけよ。名づけられたるが故にはじめの様は異らず。手足を明に有するが故にわれわりや。われ退いて、われを見るにわが手、動けるわが手、重ねられし二つの足をみる。これがわれなりとは誰が証し得るや。触るれば感ず。感ずるものが我なり。感ずるものはいづれぞ。いづちにもなし。いかなるものにもあらず。いかなるいかなるものにも断じてあらず。

見よ。このあやしき蜘蛛の姿。あやしき蜘蛛のすがた。

いま我にあやしき姿あるが故に人々われを凝視す。しかも凝視するものは人々にあらず。我にあらず。その最中にありて速にペン、ペンと名づくるものを動かすものはもとよりわれにはあらず。われは知らず。知らずといふことをも知らず。おかしからずや。この世界は。この世界はおかしからずや。人あり、紙ありペンあり夢の如きこのけしきを作る。これは実に夢なり。実に実に夢なり 而も正しく継続する夢なり。正しく継続すべし。

序文に代えて

 


若し4だとすれば、斜線はそのままにして、たての線とよこの線を伸ばす。Aならば、凭れ合っているどちらか一方の線を延長します。そんな形になった辻が、私の通学の道すじにあって、まんなかの三角形の区画内に四角形の玩具のような洋館が立っていました。二階建でしたが、私にはその形をしたマシマロウのように思えて仕方がなかった。というのは、全体が薄い緑色に塗られて、しかも相当に年代が経ってペンキに粉がふいていたからなのです。何かの店かというに、そうでありません。何の看板も標札も出ていないこの家に、一つだけ付いているニス塗のドアが、広い通りに面して、いつもてんで見当のつかぬ妙な代物でした。

 

・書き出しといっても何一つ思い付かないから、気に入っている短篇の序文を引用する。何か文章を書こうと思い立つとき、いつもこの書き出しが頭をよぎる。頗る素晴らしい書き出しだと思う。こんなふうに書けたなら!